ポイント
・手先で物を扱う運動(把握動作)に関わる脊髄神経の細胞活動の記録に成功
・脊髄の神経細胞が脳からのさまざまな運動命令を集めて、筋肉に伝えていることが判明
・運動障害時の新たなリハビリ法開発につながる可能性が期待
JST 課題達成型基礎研究の一環として、国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 モデル動物開発研究部の武井 智彦 室長と関 和彦 部長らの研究グループは、手先で器用に物を扱う運動(把握動作)の際に活動する新たな神経機構を世界で初めて明らかにしました。
これまで「ものをつまむ」ような器用な運動では、大脳皮質が直接手指の運動ニューロンを活動させて運動を制御していると考えられていました。しかし、大脳皮質の機能が成熟していない乳児でも反射的に手で物をつかむことができることから、研究グループは把握動作の神経機構が大脳皮質以外の部位、特に脊髄に存在するのではないかと考えました。
そこで本研究グループは、把握動作を行なっているサルの脊髄から神経活動を記録したところ、運動の開始時や運動の継続時に活動する神経細胞が多数見つかりました。この結果は、脊髄神経細胞が大脳皮質からの運動司令を統合して、筋活動へと変換している可能性を示唆する結果でした。
今回の研究成果は、大脳皮質のみと思われていた把握動作の中枢が実は脊髄にも存在することを示したものです。そのため、この脊髄中枢を刺激することによって、脳梗塞などで大脳皮質に損傷をもつ患者の把握動作を再建することができるようになるかも知れません。今回発見された脊髄の機能を有効に活用することで、今後新たなリハビリ法の開発につながることが期待されます。
本研究成果は、2013年5月15日(米国東部時間)発行の米国神経科学学会誌「The Journal of Neuroscience」に掲載されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。 戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ) 研究領域:「脳情報の解読と制御」 (研究総括:川人 光男 (株)国際電気通信基礎技術研究所 脳情報通信総合研究所 所/脳情報研究所 所長/ATR フェロー) 研究課題名:「感覚帰還信号が内包する運動指令成分の抽出と利用」 研 究 者:関 和彦(国立精神・神経医療研究センター 神経研究所 モデル動物開発部 部長/元 自然科学研究機構 生理学研究所 助教) 研究実施場所:国立精神・神経医療センター 神経研究所 研究期間:平成21年10月~平成27年3月 JSTはこの領域で、運動や判断を行っている際の脳内情報を解読し、外部機器や身体補助具などを制御するブレイン・マシンインターフェイス(BMI)を開発し、障害などにより制限されている人間の身体機能を回復するための従来にない革新的な要素技術の創出に貢献する研究を支援しています。 上記研究課題では、運動することに生ずる感覚が、自分の脊髄の神経回路に戻ることにより、筋肉が駆動されるメカニズムを研究史、外部から感覚帰還信号を強化することによって脳損傷の運動制御を支援し、リハビリテーションを促進する方法を開発する基礎を築くための研究を行っています。 |
研究の背景と経緯
「ものをつまむ」などの手の細かな動作は、ヒトやサルなど一部の高度に進化した動物のみが行うことができる特殊な動作です。そしてヒトやサルの脳では、脳の中でも特に大脳皮質が大きく発達しています。そのため、「把握動作は大脳皮質によって制御されている」と考えられてきました。しかし、大脳皮質の機能が成熟していない乳児でも把握動作を行うことができます。例えば、生まれたての乳児の手のひらに棒を触れると乳児は反射的に手を握ることが知られています(把握反射)。このことから、本研究グループは「大脳皮質以外に把握動作をコントロールしている部分があるはずだ」と予想しました。
本研究グループは、これまでの研究からサルの脊髄に存在する神経細胞(前運動性介在ニューロン)注1)が把握動作に関わる筋活動を引き起こしていることを発見しました。しかし、把握動作の際にこのようなニューロンがどのように活動するのかは明らかではありませんでした。そのため、これらのニューロンが把握動作にどのように役立っているのか分かっていませんでした(図1)。
研究の内容
研究グループは、把握動作中のサルの脊髄から前運動介在ニューロンの活動を記録することで、これらのニューロンが把握動作時にどのように活動するのかを世界で初めて調べることに成功しました。すると、これらのニューロンには、運動の開始時だけに活動するもの(P型)、運動を継続している際に活動するもの(T型)、またそのどちらでも活動するもの(P+T型)が存在することが分かりました(図2A)。さらに、その割合をみてみると多くのニューロンがP+T型を示していることが明らかになりました(図2B)。これは、驚くべき結果でした。なぜなら、大脳皮質のニューロンでは、運動開始(P型)か運動継続(T型)のみで活動するものが大半でした(図2C[参考論文1])。むしろ、このようなP+T型は、手先の筋肉の活動とよく似た特徴でした。そのため、前運動介在ニューロンは大脳皮質からの運動司令(P型やT型)を統合して、最終的な筋活動を作り出している可能性が示されました。この結果から、脊髄介在ニューロンは大脳皮質からの情報を筋肉へと単純に「リレー」しているだけではなく、情報の統合や処理を行なっていると考えられます。
今後の展開
今後は、このような神経機構を積極的に利用したリハビリテーション法の開発などへ研究が進展する可能性があります。例えば脊髄損傷を患った場合、大脳皮質から脊髄への連絡経路が絶たれることにより手足のまひが生じます。このような四肢まひの患者に「取り戻したい機能」についてアンケート調査した結果、その第1位に挙げられたのが「手の運動機能」だったという報告があります[参考論文2]。それにもかかわらず、従来は大脳皮質が手の運動に関わる処理を全て行っていると考えられていたため、脊髄損傷後の手先の運動の再建は難しいと考えられてきました。しかし、本研究によって脊髄内の神経機構が運動に必要な情報処理を行なっていると考えられ、受傷直後はこの脊髄内神経機構は正常である可能性があります。そのため、この残された神経機構を外部刺激や感覚刺激によって有効に活性化させることで、より効果的かつ生体に近い形で手先の運動の再建ができるようになる可能性があります。本研究の成果は、今後の新たな治療法開発へとつながると期待されます。
参考図
図1 把握動作における脊髄介在ニューロン機能の仮説
脊髄前運動性介在ニューロンが大脳皮質のからの運動司令を筋肉へと伝える際に、P型およびT型の活動を別々にリレーしている可能性(仮説1)と、両者を統合して筋肉に伝えている可能性があった(仮説2)。
図2 把握動作中の前運動性介在ニューロンの活動パターン
(A)前運動性介在ニューロンには、P型、T型およびP+T型が存在することが明らかとなった。
(B)P+T型を示すニューロンの割合が、P型、T型に比べて大きいことが分かった。
(C)一方、大脳皮質ではP+Tの割合がより少ないことが知られていた[参考論文1]。
<用語解説>
注1)脊髄前運動性介在ニューロン
脊髄に存在し運動ニューロンに対して興奮性もしくは抑制性の効果を及ぼすニューロンのこと。運動出力に直結した機能を持つと考えられている。
参考文献
[1]Anderson KD (2004) “Targeting recovery: Priorities of the spinal cord- injured population” J Neurotrauma 21:1371-1383.
[2]Smith AM, Hepp-Reymond MC, Wyss UR (1975) “Relation of activity in precentral cortical neurons to force and rate of force change during isometric contractions of finger muscles” Exp Brain Res 23(3):315-32.
論文タイトル
“Spinal premotor interneurons mediate dynamic and static motor commands for precision grip in monkeys”
(脊髄前運動性介在ニューロンは把握運動時の動的および静的運動司令を伝達する)
お問い合わせ先
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