内容
ヒトやサルの脳は、1千億を超える神経細胞が複雑に絡み合った神経回路をつくり、高次脳機能を生み出しています。たとえば、パーキンソン病などの神経疾患 の遺伝子治療を行う際には、こうした複雑な神経回路の中から特定の働きをしている神経回路を見つけ出し、それを標的にする必要がありますが、特定の神経回 路だけを標的にして遺伝子を導入することはこれまで困難でした。今回、京都大学・霊長類研究所の高田昌彦教授、自然科学研究機構・生理学研究所の南部 篤 教授、福島県立医科大学の小林和人教授の共同研究グループは、サルで特定の神経回路だけを“除去”できる遺伝子導入法の開発に世界で初めて成功しました。 この方法をパーキンソン病など、さまざまな運動疾患にかかわる脳部位である大脳基底核の神経細胞に適用したところ、特定の神経回路の除去に成功、その神経 回路の働きを明らかにしました。今後、ヒトの神経疾患の遺伝子治療にも応用できる技術です。この研究成果は、文部科学省・脳科学研究戦略推進プログラムの 共同研究プロジェクトによるもので、米国科学誌プロスワン(6月25日号電子版)に掲載されます。 |
研究グループは、細胞死を誘導する物質として知られるイムノトキシンの受容体であるヒトインターロイキンタイプ2受容体を発現する特殊なウイルスベクター(NeuRet-IL-2Rα-GFPウイルスベクター)を開発。このウイルスベクターに感染した神経細胞は、イムノトキシンと結合することによって細胞死を引き起こします。研究グループでは、まずこのウイルスベクターを大脳基底核の一部である視床下核に注入しました。次に、運動野(運動を制御する大脳皮質の領域)にイムノトキシンを注入することによって、運動野から大脳基底核に至る神経回路のうち“ハイパー直接路”と呼ばれる神経回路だけを選択的に除去することに成功しました。その結果、大脳皮質から大脳基底核に運動情報が入る際に、早いタイミングでみられる神経細胞の興奮活動が、このハイパー直接路を経由して起こることを発見しました。
高田教授と南部教授は、「今回の方法は、霊長類の高次脳機能の解明、さらにはさまざまな精神・神経疾患の霊長類モデルの開発やこれらの疾患を克服するための遺伝子治療研究など、脳科学研究に日本発の新展開を与えることが期待できます」と話しています。
本研究は、文部科学省脳科学研究戦略推進プログラム:課題C「先端的遺伝子導入・改変技術による脳科学研究のための独創的霊長類モデルの開発と応用」により実施されました。
今回の発見
1.霊長類で脳の特定の神経回路を“除去”する遺伝子導入法を開発しました。
2.パーキンソン病などにかかわる脳部位(大脳基底核)への適用に成功し、大脳皮質(運動野)から大脳基底核(視床下核)にいたる“ハイパー直接路”が、大脳基底核(淡層球内節)の神経細胞でみられる早いタイミングの興奮活動を引き起こしていることを発見しました。
図1 今回開発した特定の神経回路を“除去”する遺伝子導入法(概念図)
領域A,B,Cに分布する3つの神経細胞がそれぞれ入力(刺激)をうけ、共通の1つの神経細胞に連絡し、そこから出力する神経回路の模式図。このような神経回路の神経連絡のつなぎ目(シナプス)の部分に、NeuRet-IL-2Rα-GFPウイルスベクターを注入すると(①)、これによって導入された遺伝子が神経線維を逆行性(神経伝達とは逆向き)に輸送され(②)、領域A,B,Cの神経細胞(細胞体)で、細胞死を誘導する物質として知られるイムノトキシンの受容体であるヒトインターロイキンタイプ2受容体が発現します(③)。この時、領域Cの神経細胞にだけイムノトキシンを作用させると(④)、領域Cの神経細胞だけを選択的に死滅させることができます。
図2 パーキンソン病などにかかわる脳部位である大脳基底核に遺伝子導入
図1の原理に基づいて、ウイルスベクターを大脳基底核(視床下核)に注入。さらにイムノトキシンを大脳皮質(運動野)に注入することによって、運動野から視床下核に至る神経回路(“ハイパー直接路“と呼ばれています)だけを選択的に“除去”することができます。その際、大脳基底核の神経回路の働きがどのように変化したかを、運動野の電気刺激に対する神経細胞の反応を淡層球内節(GPi)から記録して確かめます。
図3 イムノトキシンを大脳皮質(運動野)に注入すると、早いタイミングで起こる大脳基底核(淡蒼球内節)の神経細胞の興奮活動が消失
大脳皮質(運動野)にイムノトキシンを注入して、運動野から視床下核に至る神経回路(大脳基底核の“ハイパー直接路“)だけを選択的に“除去”すると、淡層球内節(GPi)の神経細胞でみられる運動野刺激に対する早いタイミングの興奮活動がなくなりました。
図4 “ハイパー直接路“が大脳基底核(淡蒼球内節)でみられる早いタイミングの興奮活動を引き起こすことを発見
パーキンソン病などの運動疾患にかかわる大脳基底核の神経回路の模式図。大脳皮質(運動野)から大脳基底核に至る神経回路のうち“ハイパー直接路”と呼ばれる神経回路だけを選択的に除去すると、淡蒼球内節の神経細胞で早いタイミングの興奮活動だけがみられなくなったことから、この神経回路が早い興奮を引き起こす働きをしていることが明らかになりました。
Cx: 大脳皮質、GPe: 淡蒼球内節、GPi: 淡蒼球外節、SNr: 黒質網様部、STN: 視床下核、Str: 線条体、Th: 視床
この研究の社会的意義
パーキンソン病をはじめとする精神・神経疾患の遺伝子治療法の確立に期待
今回の遺伝子導入法を使えば、霊長類で特定の神経回路を除去できることから、パーキンソン病をはじめとした、特定の神経回路の活動異常によって起こるさまざまな精神・神経疾患の治療法に応用できる可能性があります。
論文情報
mmunotoxin-Mediated Tract Targeting in the Primate Brain: Selective Elimination of the Cortico-Subthalamic “Hyperdirect” Pathway
Ken-ichi Inoue, Daisuke Koketsu, Shigeki Kato, Kazuto Kobayashi, Atsushi Nambu, Masahiko Takada
PLoS ONE(プロスワン) 6月25日号電子版
お問い合わせ先
<研究について>
京都大学 霊長類研究所 分子生理研究部門 統合脳システム分野
教授 高田 昌彦(たかだ まさひこ)
特定助教 井上 謙一(いのうえ けんいち)
Tel:0568-63-0572 FAX:0568-63-0576
Email:takada@pri.kyoto-u.ac.jp(高田教授)
自然科学研究機構 生理学研究所 生体システム研究部門
教授 南部 篤(なんぶ あつし)
特任助教 纐纈 大輔(こうけつ だいすけ)
Tel:0564-55-7771 FAX:0564-55-7773
E-mail: nambu@nips.ac.jp(南部教授)
福島県立医科大学 医学部附属生体情報伝達研究所 生体機能研究部門
教授 小林 和人(こばやし かずと)
助教 加藤 成樹(かとう しげき)
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Email:kazuto@fmu.ac.jp(小林教授)
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